澤田研二新聞2010: 日本唱片大賞大眾歌謠史及收視率 [3篇] + 補充


1977年12月31日的第19回日本唱片大賞第19回輝く日本レコード大賞是日本關東地區有紀錄以來(1962年12月3日-2010年7月7日)電視節目收視率排名榜第35位,收視率達50.8%,該屆大賞得主是澤田研二(沢田研二)的《勝手にしやがれ》。

值得一提的是澤田研二有份演出,由齊藤由貴斉藤由貴主演的《跳駒》はね駒,1986年04月07日-1986年10月04日全156回)收視排名第49位,收視率53.8%,是1986年8月30日的那一集,不過澤田由初出場演至第58集,第148集再出場,所以那53.8%不關他事。

而1973年4月7日綜合節目《八點!全員集合8時だョ!全員集合排名第43位,收視率50.5%。


全局高世帯視聴率番組50




1.
川崎浩の音楽の壺
「レコ大」が示す日本大衆歌謡史
2010年10月25日 毎日jp(毎日新聞)

第1回日本レコード大賞を受賞した水原弘
前回「処暑の音楽」について書いたら、もう、「冬の音楽」を書かねばならない。実は、9月もちゃんと書いたのだが、どうも「ちゃんと」ではないという指摘があり、考えているうちに10月になった。うまく書き直せたら、ご覧にいれられるであろう。

さて、冬の音楽とは「賞レース」のことである。「賞レース」といえば、「日本レコード大賞」、いわゆる「レコ大」。「アホくさ」と断じる人も少なくないが、周辺の40、50代からは、この時期になると「今年はどーよ!?」などと尋ねられるのである。10年以上も審査員を委嘱されているので、少しは説明責任もあると思う。季節ネタとしてちょっとご紹介しよう。

レコ大は、もともと日本作曲家協会がアメリカのグラミー賞のような豪華な「歌謡賞イベント」を日本にも、と、1959年に始めた賞イベントである。第1回は、同年12月27日午後3時10分から東京・文京公会堂で開かれた。大賞の「黒い花びら」の水原弘が「レコード大賞? なんだそれ」と言ったとか言わないとか歴史に残っている。

69年、第11回からTBSが生中継を開始。大みそか午後7時から帝国劇場での授賞式の模様が全国へ流れるようになる。その年の大賞は佐良直美いいじゃないの幸せならば」。

77年、第19回は、テレビ視聴率が、とうとう50.8%と大台に乗る。大衆の、音楽に対する日常性と親和性が極まった時期だったと言えようか。あるいは、テレビと大衆音楽の蜜月時代とも。この年の大賞は沢田研二勝手にしやがれ」である。


その後、87年までは、ほぼ30%の視聴率で推移するが、美空ひばりが亡くなった89年、第31回に一気に14%という低視聴率を食らう。大賞はWinkの「淋しい熱帯魚」。ここから平成である。

06年に、69年から恒例となっていた大みそか開催を1日前にずらして30日開催とし、10%まで下がった視聴率を17%に引き戻す。この時期、会場はTBSのスタジオから新国立劇場へ。大賞は氷川きよし一剣」だった。(視聴率は、関東・ビデオリサーチ)

さて、レコ大小史で紙数の半分を費やしてしまったが、ここからだけでも、結構、レコ大とは何ぞやが見てとれるのではないか。

壺流にまとめると、昭和時代は、国民的楽曲が大賞を受けていること。音楽とテレビが“仲が良かった”ころは、アイドルも演歌も歌謡曲も元気が良かったこと。95年以降09年まで、エイベックスが10回大賞を得ていること。その時期の大賞は「国民的楽曲」とは言い難いものが多いということ。

ある意味、「レコ大」は、大衆音楽史である。例えば、井上陽水松任谷由実が大賞を獲得していなくても、「いない」ということで、その時代の大衆音楽状況を察することができる。まず陽水や松任谷が音楽史から消えることはない。「ユーミンが大賞を取っていないからレコ大は無意味」という構図にはならないのだ。

次に、「レコ大」が、どうでもよい存在であれば、「もらう」はずである。「あえて、もらわない」歌手がいるということは、マイナスであれ「レコ大」を意識しているということであろう。つまり「レコ大はスターにとって気になる存在だった」ことにならないだろうか。

それは毎年秋深まると「できレースのレコ大」とか「レコ大、すでに決定」「レコ大権威、地に落ちる」など週刊誌に取り上げられるのと似ている。無視できない存在なのである。

それを前提として、レコ大は時代時代の音楽状況をきちんと反映している、と思うのだ。

日本がまだ発展途上で大衆歌謡が国民と共にあった時代。国民が豊かになり若者が音楽消費の主軸となる時代。メディア時代となり音楽がメディアの主要コンテンツとなる時代。と同時に、価値の多様化が進み、既成の権威を無化することで新しい権威を発生させる大衆が発生した時代。すべてにデジタル化が普及し、価値の相対化が極まって、音楽が数あるエンターテインメントの一つでしかなくなった時代。

ジャニーズ歌手がいないとか、エイベックスだけだ、とか、その通りだが、それは「公正」とか「不公正」とかの話ではなく、「時代がそうだったのだ」と、レコ大の歴史は教えてくれるのだ。

審査に入る前のレコード大賞総会で、服部克久制定委員長は「大衆音楽を顕彰するという時代ではないかもしれない」と現状を規定した。そのうえで「ぜひ国民が喜ぶイベントにしたい」と語った。

その通りだと考える。顕彰の時代ではない。ただ、「賞なんかいらない」なんて小さいことを声高に言い募る、こんなささくれた時代だからこそ、国民は単純に「喜びたい」はずではないか。

今年は、11月19日に基本賞が発表され、12月30日に最終賞が決まる。レコード大賞は「1位」を決めるイベントではなく、ただ国民を喜ばせる何かであってほしいと感じるのである。
2. 2006年的另一篇報導
亀田世界戦に“大晦日”押し出されたレコ大の裏事情…
12月30日に繰り上げ放送
2006/08/01 ZAKZAK > 芸能

亀田興毅
大みそかの風物詩としてTBS系列で生放送されてきた日本レコード大賞(レコ大)が、今年から12月30日に繰り上げ開催されることになった。「後番組は未定」(TBS)としながら、世界初挑戦が目前のプロボクシング、亀田興毅選手(19)=写真=の世界戦が中継される可能性が濃厚だ。昭和44年の第11回以降、大みそかの放送に、こだわり続けてきたレコ大が変更を決断した裏事情は?

かつては、NHK紅白に次ぐ、高視聴率番組だったレコ大。沢田研二が「勝手にしやがれ」で大賞を受賞した昭和52年には平均50.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録。ところが、昨年は、ついに最低視聴率10.0%(同)まで低迷。テレビ中継を続けるかどうかも危ぶまれていた。

この間の背景を放送関係者が語る。

歌手本人が、生放送で受賞できることが条件であることから、大衆から支持を集めていても、必ずしも選ばれないアーティストが年々増えていた。とくにアイドルやポップス系歌手は、カウントダウンライブを開くようになってから、大物の選考が難航していた

音楽事務所の幹部は「早くから賞をやめ、音楽祭スタイルに特化したフジテレビのFNS音楽祭は、毎年、高視聴率を記録する人気番組に育っている」と指摘。TBSでも、こうした音楽特番のスタイルを加えて巻き返しを図りたいようだ。

この変更に戦々恐々なのが、NHKのスタッフ。「ここ数年の格闘技ブームで、紅白歌合戦の数字を食われてきたが、昨年は少し視聴率が持ち直した。亀田の世界戦が裏番組となれば、また頭を悩ませることになりそうだ」(同局関係者)。

もっともTBSにとっては、年末まで亀田ブームが続くかどうか、というリスクもあるが…。
3.2008年的另一篇報導
「レコ大50回」記念放送
2008年12月25日  YOMIURI ONLINE(読売新聞)

過去の大賞受賞者も熱唱

年末恒例の「輝く!日本レコード大賞」(日本作曲家協会など主催)が今年で50回目を迎え、30日午後6時30分からTBS系で放送される。今回は、放送時間を約1時間増やして4時間半に拡大。八代亜紀ら過去の大賞受賞者に歌ってもらうなどの趣向を凝らす。50年の歴史を振り返った。(小林佑基)

レコード大賞は「米国のグラミー賞のような賞を日本にも」という願いから、1959年に制定。大賞のほか、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞などの賞がある。当初は、日比谷公会堂などを会場にして12月下旬の昼間に開かれていた。しかし、大みそかの31日午後7時から帝国劇場で行われるようになった69年(第11回)から人気が急上昇し、それまで10%台が多かった視聴率が同年、一気に34.6%にまで跳ね上がった。

その後も70年代から80年代にかけ、視聴率は30~40%台を維持し、77年には50.8%の最高視聴率を記録した。大みそかは親公認で夜更かしができ、レコード大賞と紅白歌合戦が見られた」と、93~2000年にプロデューサーを務めたTBSテレビの斎藤薫アナウンス部長は話す。

当時は、レコード大賞の後に紅白歌合戦に出場するため、歌手たちが日比谷の帝国劇場や九段下の日本武道館から渋谷のNHKまで大急ぎで移動する “風景”も、大みそかの風物詩の一つだった。斎藤部長は「大賞受賞に喜び、会場の客席まで入って行った近藤真彦を、NHKの紅白担当者と一緒に必死で追いかけたことが懐かしい」と振り返る。

しかし、世代を超えて歌われる曲が減ったことや人気歌手の出場辞退、紅白歌合戦の放送開始時間の変更などが影響し、視聴率は89年に14.0%まで下降。出場を辞退する歌手の作品を授賞作から外したこともあったといい、賞の権威も低下した。

69~89年にプロデューサーなどとして携わった斎藤正人さんは「昔は家族が一台のテレビを見ていたから、曲が広い世代の間に広まった。今では、歌手もテレビ出演よりコンサートを重視するようになってしまった」と指摘する。その後、視聴率は20%に届かず、05年には過去最低の10.0%まで下落。06年からは授賞式を30日に移したため、06年は17.0%、07年には16.8%とようやく持ち直した。

50周年記念の今年は、優秀作品賞の数を10作から12作に、新人賞も4人(組)から5人(組)に増加。さらに、最優秀新人賞や大賞の受賞者をゲストに迎える「おめでとう!第50回日本レコード大賞」を午後11時10分から20分間、生放送する。

近年、音楽の趣向の多様化などで、レコード大賞への逆風は続く。斎藤正人さんは「昔もたくさんの歌が発売されたが、10年、20年後にも歌い継がれる名曲が大賞に選ばれてきた。これからも、そんな曲が大賞に選ばれていくと思う」と話している。

(視聴率はビデオリサーチ調べ、いずれも関東地区)

年         曲名(歌手)
1959    黒い花びら(水原弘)
62     いつでも夢を(橋幸夫/吉永小百合)
63     こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)
67     ブルー・シャトウ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
71     また逢う日まで(尾崎紀世彦)
76     北の宿から(都はるみ)
77     勝手にしやがれ(沢田研二)
78     UFO(ピンク・レディー)
79     魅せられて(ジュディ・オング)
80     雨の慕情(八代亜紀)
81     ルビーの指環(寺尾聰)
83     矢切の渡し(細川たかし)
86     DESIRE(中森明菜)
87     愚か者(近藤真彦)
88     パラダイス銀河(光GENJI)
90     おどるポンポコリン(B.B.クィーンズ)
94     innocent world(Mr.Children)
97     CAN YOU CELEBRATE?(安室奈美恵)
2000 TSUNAMI(サザンオールスターズ)
01  Dearest(浜崎あゆみ)


主な部門賞

各部門賞はすでに決定し、優秀作品賞の中から大賞が、新人賞の中から最優秀新人賞が、30日に決定する。

主な部門賞は次の通り。

▽優秀作品賞=「そばにいるね」(青山テルマ feat. SoulJa)、「愛のままで…」(秋元順子)、「アメあと」(w‐inds.)、「Ti Amo」(EXILE)、「江戸の手毬唄(てまりうた)2」(℃―ute)、「Moon Crying」(倖田來未)、「やぁ無情」(斉藤和義)、「JUNGLE DANCE」(谷村奈南(なな))、「どうして君を好きになってしまったんだろう?」(東方神起)、「玄海船歌」(氷川きよし)、「輪島朝市」(水森かおり)、「ギリギリHERO」(mihimaru GT)

▽新人賞=GIRL NEXT DOOR、キマグレン、桜井くみ子、ジェロ、福井舞

▽最優秀歌唱賞=中村美律子(みつこ)

▽最優秀アルバム賞=安室奈美恵「BEST FICTION」
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2 Comments:

[ ] bellyupcat 2/04/2011 4:53 上午

關!絕對關julie 事。如果無佢份演果兩個月,d人點會睇上癮! 最重要係吸引到人埋黎睇嘛。


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