澤田研二新聞2008: The Golden Cups的主音デイヴ平尾離逝 + 補充


上回提要︰澤田研二新聞2009: デイヴ平尾和大口広司的離逝 [10篇] + 補充

Groups Sounds樂隊The Golden Cupsザ・ゴールデン・カップス)的主音Dave平尾(デイヴ平尾)2008年離逝。

男が憧れるシャイ…デイヴ平尾さん、63歳で死去
ザ・ゴールデン・カップス
2008/11/27 ZAKZAK > 芸能

男も憧れる存在だった=2005年3月撮影(クリックで拡大)
酒好きで、ステージでも右手にグラス、左手にはマイク。細身の体で、ソウルフルに歌う姿が本当にかっこよかった。

実際はシャイで、飲まないときは無口。音楽に対して非常に純粋で、責任感も強かった。コンサートでも始まる前は辛そうだけど、終わると最高にうれしそうでした

そう語るのは、映画制作会社「アルタミラピクチャーズ」代表、桝井省志さん。小学生のころから平尾さんが率いたザ・ゴールデン・カップスのファン。2003年、再結成を実現し、足跡を追ったドキュメンタリー映画「ワンモアタイム」(2004年公開)を完成させた。

沢田研二や萩原健一と全く違い、男が憧れるボーカリスト」(桝井さん)が生まれ育った横浜は、米軍基地があり、流行の最先端だった。本人も生前、「当時は、ファッションでも音楽でも文化でも横浜のほうが上。東京は全然田舎だった」と自慢していた。


21歳で渡米して本場の音楽に触れ、帰国後の1966年に結成したのがカップスだった。

GSでは抜群の演奏力を誇った。ライブでは「長い髪の少女」「愛する君に」などのヒット曲ではなく、R&Bやニューロックなど洋楽にこだわった本格派。「日本人がやってない曲をやろう」といち早く英国バンド、レッド・ツェッペリンの曲にも挑戦した。

72年の解散後も、仲間から親分肌の性格は慕われ続け、昨年11月の結成40周年記念ライブも成功した。

桝井さんは「40年たっても集まるのはデイヴさんの求心力のおかげ」と語る。

昨年末まで、東京・六本木のライブハウスで毎晩4-5ステージを精力的にこなした。10月に入院する前、桝井さんと中華料理を食べ、2次会の飲み屋では「ワンモアタイム」のDVDをうれしそうに見ていた。

デイヴさんが守ってきたカップスを残りのメンバーたちに続けてもらえるよう力になりたい」(桝井さん)

デイヴ平尾
食道がん手術後の11月10日、心不全で死去。63歳。本名・平尾時宗(ひらお・ときむね)。追悼ライブは28日、東京・JCBホールで。来年1月には、ゆかりのあるミュージシャンによる音楽葬も計画されている。
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