澤田研二新聞2008: 人間60年・Julie祭 ~ 東京巨蛋演唱會 (12月3日) [9篇]


上回提要︰澤田研二新聞2008: 人間60年・Julie祭 ~ 大阪巨蛋演唱會 (11月29日)

1.

還暦ジュリー 鉄人6時間半ライブ
2008年12月4日 紙面から 中日スポーツ(CHUNICHI Web)


歌手の沢田研二(60)が3日、東京ドームで「人間60年 ジュリー祭り」と題した還暦記念コンサートを開催した。11月29日の京セラドーム大阪に続く自身初のドーム公演で、幅50メートルのステージを駆け回りながら全80曲を約6時間半にわたって熱唱し、東京ドームで行われた単独コンサートとしては史上最長記録を更新した。妻で女優の田中裕子(53)や、ザ・タイガース時代の同僚・岸部一徳(61)、森本太郎(60)も見守る中、最後まで元気に歌いまくったジュリーの姿に、幅広い層にわたって詰めかけた約3万2000人のファンが酔いしれた。
ジュリーが泣いた-。1967年にザ・タイガースとしてデビューしてから41年。3万2000人ものファンを集めたのは、自身初だった。

僕は夢を見る男ではありません。でも、みんなに夢の中に連れて行ってもらいました。60にもなって、3万人(以上)もの人の前に立って歌えることは、本当にうれしさの極みです。また明日からはしっかりと日常を暮らして、1日でも長く歌っていきたいと思います

まさに鉄人だ。デビュー以来約40年間、欠かすことなく新作アルバムのリリースと全国ツアーを開催してきた沢田は、還暦イヤーのラストを飾る大舞台のため に、大好きな酒を断ち、人知れず今回の公演に備えてきた。 名物の長いトークは封印し、30分の休憩以外はほぼノンストップで歌いっぱなし。「ありがと う、サンキュー、ありがとね!!」。楽曲の終わりごとに必ず客席に向かって投げかけるお決まりのセリフは80回に及んだ。

オープニングは、インディアン風の白い羽飾りをまとって花道に登場。ソロデビュー曲「君をのせて」や「コバルトの季節の中で」などの代表曲をはじめ、「君だけに愛を」「シーサイド・バウンド」などタイガース時代の名曲も9曲披露した。

第2部では、「TOKIO」や「勝手にしやがれ」などのヒット曲を連発し、お祭りモードに突入。学生を中心とした混声コーラス隊1000人と、総立ちと なったファン全員で「あなたに今夜はワインをふりかけ」を大合唱すると会場のボルテージは最高潮に。最後は全員参加の一本締めで、“還暦大感謝祭” を締めくくった。

このライブの模様は、NHK総合で27日午後10時放送のダイジェスト版(45分)のほか、28日は同局のBSハイビジョンで午後10時30分から約1時間半の番組として放送される。
2.
還暦ジュリー!6時間超ライブで80曲
2008年12月04日  デイリースポーツonline (Daily Sports online)

6月に還暦を迎えた歌手・沢田研二(60)が3日、東京ドームで「人間60年 ジュリー祭り」と題した6時間を超える長丁場のライブを行い、ザ・タイガース時代から最新アルバム収録曲まで実に80曲を披露した。

会場を埋め尽くした3万2000人のファンに沢田は「みなさんに夢の中に連れて行ってもらってます。うれしさの極みです」と感謝。「いくつかの場面」を歌った後には思わず男泣きし「最近は涙腺がゆるーて。もうぐちょぐちょです」と照れた。

日本人アーティストによるドーム最高齢記録は小田和正(61)にわずかに及ばないが、一切歌詞を見ずに全曲を歌い切るパワーは健在。公演の成功を願って酒 を断ち、幅50メートルのステージを駆ける姿も軽やかだった。「勝手にしやがれ」、「TOKIO」など名曲も出し惜しみなし。「我が窮状」では1000人 のコーラス隊を従えるダイナミックな演出も見せた。

見事に完走した沢田は「この日を忘れません。1日でも長く歌っていきたい」ときっぱり。09年1月10日に恒例の正月コンサートもスタート。2月には内田裕也(69)とのジョイントライブも控える。還暦を迎えてもその歩みを止めることはない。
還暦コンサート第2部で赤の衣装を着て登場した沢田研二=東京ドーム

3.
ジュリー涙の還暦コンサート、6時間80曲
2008年12月4日10時33分 紙面から nikkansports.com

歌手沢田研二(60)が3日、東京ドームで還暦記念コンサート「人間60年 ジュリー祭り」を行った。真っ赤なスーツなど60歳を意識した4パターンの衣 装で登場。約6時間のロングライブのために、半年間の禁酒で体調管理に努めてきた。ザ・タイガース時代の9曲、71年のソロデビュー曲「君をのせて」や、 新アルバム収録曲で平和憲法護持を訴えた「我が窮状」など80曲を披露。「年を取ると涙腺がゆるんで…」。時折、感激の涙を浮かべながら、シャウトしっぱ なしの“ジュリー三昧(ざんまい)”で、熱視線を送る3万2000人の期待に応えた。「皆さんのおかげで夢を見てこられた。これから1日でも長く歌ってい きたい」。68年にザ・タイガースが後楽園球場で初のスタジアムライブを成功させてから40年。妻田中裕子が見守る中、思い出の地で変わらぬエネルギッ シュなジュリーを存分に見せつけた。
4.
還暦・沢田研二、壮絶6時間42分ドーム公演 80曲目は 「愛まで待てない」
2008年12月04日 09時00分 ニュース-ORICON STYLE-

大団円は笑顔だった。午後3時に始まった宴は、夜9時42分、主役の思いきりのスマイルで幕を閉じた。12月3日(水)、東京ドームでの沢田研二「人間 60年 ジュリー祭り」。先週末の大阪・京セラドームに続くジュリー初の巨大ドーム公演は、途中休憩を除いても6時間20分に及ぶ、圧巻の超ロングライ ヴ。ラスト80曲目は「愛まで待てない」だった。

6月25日に無事還暦を迎えました。今日は80曲歌います!

前半 は42年のキャリアのたどり直しである。60年代のGSアイドルとして君臨したザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」「君だけに愛を」では当時からの ファンが大歓声。萩原健一らとの短命のスーパー・バンド=PYGの「花・太陽・雨」は重厚なサイケデリック・バラードだ。続いてソロ期に突入し、70年代 前半の「許されない愛」「追憶」、エキゾティクスを従えた80年代の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「晴れのちBLUE BOY」。ヤマ場は、内省的な「ある青春」に続いての26曲目「いくつかの場面」(75年作/作詞作曲は故・河島英五)だった。<いつも何かが歌うことを 支え 歌うことが何かを支えた>と歌う沢田が感極まり、「最近は涙腺がゆるくて、もうグチョグチョ!」。その波動が客席に伝わってゆく。

第2部に入ると、甘さと強さの共存するボーカルがそのロマンチックな味わいをより増してゆく。なんという声のたくましさ! しかも広い舞台を走り、花道を駆けて、だ。これはコンサート・ツアーを毎年全力でやってきた彼の積み重ねの賜物だろう。

ありがとう。サンキュー。ありがとうね!

48 曲目はドラマチックな「サムライ」、58曲目は東京ドームに似合いすぎの「TOKIO」、手拍子が響いた66曲目「危険なふたり」。しかしこうした昭和時 代のスーパー・ヒットに拮抗する存在感を見せたのは、アルバム中の隠れた名曲や沢田自身が思い入れのある歌の数々だ。とくに幸せをつかむことや生きる喜び を歌ったここ20年あまりの楽曲には、彼の人生観が深く宿っている。本編最後は最新アルバムの表題曲「ROCK’N ROLL MARCH」。両翼スタンドに陣取る総計1000人の正装のコーラス隊が4曲で加わった以外は、4人編成のシンプルなバンド演奏のみ。特別なゲストも派手 な演出もないのが今の沢田らしさを示していた。

「ザ・タイガースの時代は、私にとって本当に宝です。それから今もずっと夢の中にいま す。いましたが、僕はその上で夢見ることはできませんでした。現実を見つめることだけをやってきました。そして日常を、日々の暮らしを一歩一歩歩んできま した。ですが、また今日、夢の中に連れてってもらえました」
「また明日から、しっかりと日常を暮らしていきたいと思います。一日も長く唄っていたいと思います。今日は本当にありがとうございました」

「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくままに」等を投下し、ついに迎えた80曲目はポップなロックンロール「愛まで待てない」だった。沢田は自身の頑なさゆえ に楽ではない道のりを選んできた。しかし過去を安売りしないその姿勢があったからこそ、彼はシンガーとしての気高さと色気ときらめきを保ったまま還暦を迎 えられたのだと思う。 「明日からまた頑張りまーす! 夢をありがとう!

3万人の多くは、笑顔で去ろうとするこの最高のシンガーに拍手を送りながら思ったはずだ。「感謝したいのはこちらです。私たちに今でも夢を見せてくれているのは、ジュリー、あなたじゃないですか!」と。(文・青木優)


東京ドームで行われた『人間60年 ジュリー祭り』 平日15時からの公演にも関わらず多くの人々が集まった
5.
還暦ジュリー舞った!泣いた!6時間80曲熱ショー
2008年12月04日 スポーツ報知

今年6月に還暦を迎えた歌手の沢田研二(60)が3日、自身初の東京ドーム公演「人間60年 ジュリー祭り」を行った。先月29日の京セラドーム大阪公演 と合わせ、1967年に歌手デビューしてから42年目での初ドーム。自らの半生を振り返るかのように、6時間で全80曲を熱唱。3万2000人のファンに 涙も見せ「みなさんのおかげで、夢が見られました。ありがとう。うれしさの極みです」と喜びをかみしめた。

午後3時の開演から6時間近 くたったライブ終盤、真っ赤なスーツのジュリーが姿勢を正し、しみじみとあいさつした。「僕は夢を見る男ではありません。でも、また今日、みんなに夢の中 に連れていってもらいました。みなさんのおかげです」。3万2000人のファンも拍手の嵐で42年目の初ドームを祝福した。

67年に ザ・タイガースのボーカルでデビューしてから、毎年必ずアルバムを発表しツアーを行ってきた。過去のヒット曲を極力披露せず新曲中心のステージだったが、 この日はまさに「ジュリー祭り」にふさわしい集大成。「君だけに愛を」などタイガースの曲や「TOKIO」「勝手にしやがれ」など往年のヒット曲も連発 だ。全80曲、すべて歌詞を見ずに歌いきった。

6時間以上の長丁場。6月の誕生日から、この日のために大好きな酒を断った。結果的にか なり絞れた体で、開演から何度もステージを駆け回った。中盤「いくつかの場面」の後には「年寄りなので涙腺がゆるうて…」と感極まり涙する場面もありつ つ、無事に完走した。観客席からは妻で女優の田中裕子(53)、タイガースの岸部一徳(61)、森本太郎(61)らが見守った。

自ら 「無謀」と繰り返すチャレンジだった。60歳を超えてのドーム公演は、先月26日に東京ドーム公演を行った小田和正(61)に次ぎ、日本人歌手で史上2人 目。小田は89年に同所でオフコースの解散コンサートを行っており、還暦超えでのドーム初挑戦は沢田のみ。チケットの売れ行き次第では中止も考えられた が、2公演で予想以上の5万4000人を動員した。

1968年8月12日、東京ドームの隣にあった後楽園球場で日本人アーティストとし て初めてスタジアムライブを行ったのがタイガース。再び金字塔を打ち立てたが「また明日からしっかりと日常を頑張ります。一日も長く歌っていたい」。この 日だけで、100回以上「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたジュリー。「12月3日、仏滅。私はこの日を忘れません」と、最後はファンとの一本締めで節 目の1年を飾った。

◆沢田 研二(さわだ・けんじ)1948年6月25日、鳥取県生まれ。60歳。京都で育ち、「ザ・タイガース」の ボーカルとして67年2月にデビュー。71年1月にグループを解散し、ロックバンド「PYG」を経て71年11月にソロデビュー。「時の過ぎゆくままに」 などヒット曲を連発し、77年に「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞した。俳優としても活躍し、映画「太陽を盗んだ男」(79年)では報知映画 賞・主演男優賞など映画賞を総なめ。89年に女優の田中裕子と再婚。


派手なステージでファンを熱狂させた沢田研二

水を口に含み“霧噴き”パフォーマンスの沢田研二
6.
ジュリーが泣いた!41年で初ドーム80曲
2008年12月04日 スポニチ Sponichi Annex ニュース

沢田研二(60)の還暦記念コンサート「人間60年・ジュリー祭り」が3日、東京ドームで開催された。ザ・タイガース時代の曲をはじめ、計80曲を約6時 間半にわたって熱唱。デビュー41年で初のドーム公演となり、自己最多となる約3万2000人を動員。「すごく気持ちいい」と感激し、泣きながら歌う場面 もあった。

ジュリーが泣いた。26曲目の「いくつかの場面」。80曲のうち唯一、ここで涙があふれた。本名澤田研二の素顔まで垣間見えた瞬間だった。

75年に発売されたアルバムのタイトル曲。当時無名だった故河島英五さんが作詞、作曲した。

♪まぶたを閉じれば、数々の想(おも)い出が胸をあつくよぎる…。振り返ればアイドル時代、ソロ転向、事務所からの独立、離婚、再婚などを経て今がある。そんな“いくつかの場面”が脳裏をよぎったようだ。

出会いと別れの60年だった。久しく会っていないタイガースのメンバー。河島さんだけでなく、ヒット曲の数々を提供してくれた阿久悠さんや安井かずみさんも亡くなった。どんな時も目の前にいるファンは支えてくれた。沢田は誰かを抱きしるポーズをしながら男泣きした。

「僕は夢見る男ではありません。でもみなさんが夢の中に連れていってくれました。そしてまたきょう、夢の中に連れて行ってもらいました」

上ずる声であいさつした。客席には妻で女優の田中裕子(53)や元タイガースの岸部一徳(61)と森本太郎(61)の姿も見られた。

91年の25周年記念公演以降、往年のヒット曲を中心としたコンサートを封印してきた。現役にこだわり、過去を振り返ることを嫌ってきたためだ。一方で ファンへ恩返ししたい気持ちも強く、今年6月25日の誕生日からスタートした全国ツアーで封印を解いた。京セラドーム大阪(11月29日)との2大ドーム 公演の開催を発表してからは大好きな酒も断った。

「40歳の時は60歳をジジイと思ってました。でも、そうではないんですね」と語って いたが、この言葉を証明するステージ。序盤から幅50メートルのステージを縦横無尽に駆けめぐった。トークは少なく、ほとんどぶっ通しで歌いきった。最後 は「2008年12月3日、仏滅。私はこの日を忘れません」と一礼。ファンと一緒に関東1本締めで締めた。


沢田研二は「還暦記念コンサート」第ニ部でペットボトルの水を吹く
Photo By スポニチ

還暦記念ライブを行った沢田研二
Photo By スポニチ
7.
ジュリー6時間40分、80曲を熱唱!
2008.12.4 05:05 サンケイスポーツ SANSPO.COM

歌手、沢田研二(60)が3日、東京ドームで還暦イベントコンサートを開催した。「人間60年 ジュリー祭り」と題し、午後3時から6時間40分にわたっ て全80曲を熱唱。ザ・タイガース時代からソロ転向後のヒット曲を惜しみなく披露した。3万2000人のファンが感激に浸る中、さすがのジュリーも感無量 の表情を浮かべた。

熱い涙を抑えきれない。ジュリーが泣いた。26曲目の「いくつかの場面」を熱唱した直後、思わず声を詰まらせた。

最近、涙腺が弱くてな。平日でありながら、こんな妙なコンサートをやって、仕事を休んで、店を休んでお越しいただいて感謝しております

60歳を迎えた節目の年に、11月29日の京セラドーム大阪に続き、東京ドーム公演を実現だ。

まだ屋根が白く光る午後3時、定刻通りに“宴”が始まった。頭につけたインディアン風の羽根飾りからスーツまで、全身真っ白ないで立ちで登場。ソロ曲に加 えてザ・タイガース時代や、俳優の萩原健一(58)とのツインボーカルで71年に結成したロックバンド、PYGの楽曲まで、第1部は42曲をほぼノンス トップで歌い上げた。

今回の挑戦を前に、背水の陣を敷いていた。公演が決まってから、「チケットが売れなかったら中止する」と自分自身 にプレッシャーをかけてきた。が、フタを開けてみれば2日間で計5万4000人を動員。この日の客席からは妻で女優の田中裕子(53)、タイガースの仲間 だった俳優の岸部一徳(61)、ミュージシャンの森本太郎(61)も熱視線を送った。

30分足らずの休憩をはさんだ第2部。今度は還暦 祝いとばかり、全身真っ赤な衣装に身を包む。さらに水色、赤と衣装を変えてヒット曲のオンパレード。ラスト80曲目の「愛まで待てない」でも横50メート ル、縦17メートル、花道25メートルのステージを目いっぱい駆け回った。1988年の東京ドーム開場以来、単独での6時間以上の公演は史上初だ。曲を歌 い終わるごとに毎回、「ありがとう、サンキュー、ありがとな」と、観客へ感謝の意をこめた。

ビッグプラン成功へ願をかけ、「自分の一番 好きなモノを断つ」と6月10日から禁酒を続けた。もう、その必要はない。ジュリーは最後に、「あしたからまた頑張ります。夢をありがとう!2008年 12月3日、仏滅。私はこの日を忘れません」と絶叫。全員による関東一本締めの柏手が、会場全体に響き渡った。



まっ赤なインディアン風衣装でステージ狭しと歌い踊る沢田研二=東京ドーム(撮影・千村安雄)【フォト】

第1部で白い衣装で熱唱する沢田研二


第2部は赤い衣装で熱唱する沢田研二

口から水を吹きながら熱唱する沢田研二

口から水を噴き出し赤い衣装で熱唱する沢田研二

赤い衣装で熱唱する沢田研二

ファンにっフィナーレの挨拶をする沢田研二
沢田研二還暦記念コンサート 人間60年・ジュリー祭り 舞台そでで合唱する1000人(右に500人、左に500人)の合唱隊
8.
前人未到「還暦アイドル」 ジュリー祭り
2008年12月18日 asahi.com(朝日新聞社)

とにかく、すごかったとしか伝えようがない。東京ドームで3日、ジュリー(沢田研二)が6時間以上で80曲を歌いきった還暦記念コンサート「人間60年  ジュリー祭り」。終始パワー全開で広い舞台を縦横に走り、ジャンプし、熱唱した。「祭り」に居合わせた3万2千の観客の一人として、興奮の余韻が当分去り そうにない。

ザ・タイガースでデビュー以来の41年を行きつ戻りつする構成。観客の多くは時代を共にしてきた世代だ。7曲目に「銀河のロマンス」のイントロで、ドーム内が「オゥ」とどよめいた。40年前のアイドル映画の主題歌である。

当時隆盛したグループサウンズは、新しい音楽と男性アイドルの供給源であり、高揚期にあった学生運動と相まって、世の中は騒がしく汗くさかった。戦後日本社会そのものの青春期である。

中でジュリーは、その構成要員の一人であり、かつ異質の存在でもあった。それまでの男性アイドルにない透明で中性的な美貌(びぼう)は、「美男子」「ハンサム」など旧来の言葉では形容できない。以来、思えばジュリーはずっとアイドルの先端にあり続けている。

作詞家・阿久悠は、青春期を過ぎたアイドルに、「時の過ぎゆくままに」(75年)で「けだるさを秘めた退廃美」を、「勝手にしやがれ」(77年)などで 「男の美学」を注ぎ込んだ。続いて「脱アイドルを遂げたアイドル」として「TOKIO」(80年)では落下傘を背負い、高度経済成長後の豊かさが行き渡っ た日本を浮遊してみせた。

いまジュリーは、「還暦以後アイドル」として前人未到の道を行く。コンサートの後半、前半よりむしろ声が伸び て、歌の説得力も増したように。ほとんどぶっ通しで歌って終幕近く、語った。「夢の中にいる人間は、夢を見ることができない。だから一歩一歩現実を踏みし め、日常をしっかりやっていくだけ」と。

「祭り」は一日。人生は続く。年を重ねるのも悪くないと、うれしくなった。(大上朝美)

写真沢田研二=東京ドーム、安藤由華撮影
9.
サザン、ジュリー、氷室…今年活躍した大御所
2008年12月10日 asahi.com(朝日新聞社)

サ ザンの結成30周年記念祭&活動休止のニュースに驚き、60歳にして2大ドーム・ライブ「ジュリー祭り」を成功させた沢田研二の活躍に胸を躍らせた 2008年。さらには「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」なんて一大イベントも…。この1年を盛り上げた大御所アーティストたちの作品で、 2008年を振り返ってみよう!

日程 会場 開場 開演 終演予定
12月3日(水) 東京ドーム 13:00 15:00 21:30


澤田研二巨蛋演唱會官方網頁︰http://julieindome.jp/


Keywords: 沢田研二, 澤田研二, Kenji Sawada, ジュリー, Julie, 還暦, 還曆, Rock'n Roll March, 人間60年・ジュリー祭り, 人間60年・Julie祭, 演唱會, concert, コンサート, tour, ツアー, 東京ドーム, 京セラドーム大阪, ドーム, Tokyo Dome, Osaka Dome, 東京巨蛋, 大阪巨蛋, ザ・タイガース, The Tigers, 老虎樂隊, グループ・サウンズ, グループサウンズ, group sounds, GS, G.S., 岸部修三, 岸部おさみ, 岸部一徳, 岸部一德, Ittoku Kishibe, サリー, Sally, 森本太郎, Taro Morimoto, タロー, 田中裕子, Yuko Tanaka

0 Comments:


發佈留言

- 如沒有帳戶可選Name/URL(名稱/網頁)留言
- 按下Subscribe by email(電郵訂閱)可跟進本篇文章的留言(小貼示:留言前先訂閱可把自己的留言寄回給自己)

Please choose "Name/URL" to leave your comment if you don't have account.
Click "Subscribe by email" if you want to follow up the comments of this article.